top of page

「音楽」には無限の可能性があります。

かつての偉大なミュージシャンたちが願った

世界平和の実現。

 

品位と謙遜が消えてなくなりそうな

この時代だからこそ

私たちには「音楽」が必要です。

“Make it a better place through Music”

音楽で世界をちょっとずつハッピーに。

 

私はいつも誰かの幸せのために音を奏で続けます。

Suzuma Nomura

今までの歩み。

音楽家と経営者。

Make It a Better Place.

“世界をもっといい場所に”をテーマに

二足の草鞋で活躍する22歳のこれまでをご紹介します。

Suzuma Nomura

今までの歩み。

音楽家と経営者。

Make It a Better Place.

“世界をもっといい場所に”をテーマに

二足の草鞋で活躍する

21歳のこれまでをご紹介します。

スズマノレキシ

ABOUT SUZUMA

「音楽」で、

世界を平和に。

「音楽」で、世界を平和に。

「音楽」で、世界を平和に。

MAKE IT

A BETTER PLACE

THROUGH MUSIC.

「音楽」で、

世界を平和に。

「音楽」で、世界を平和に。

生い立ち

2002年(平成14年)5月7日、山口県光市で生まれる。本名は野村涼馬(のむらすずま)。身長175cm、血液型はAB型。

幼少期は病弱で頻繁に肺炎で入院していた。2歳の頃に父を亡くしたが、フォルクローレ(南米の民俗音楽)愛好家グループ「Arcoiris(アルコイリス/スペイン語で「虹」の意)」に所属していた母の影響で、幼い頃から南米の民族楽器に触れられる環境にあった。アルコイリスはボリビアに2年間、青年海外協力隊(JICA海外協力隊)として赴任していたリーダーのSumireによって1999年、山口県で結成された。2017年まで地元のイベントや広島や九州のフォルクローレ祭りなどに出演していたが、メンバーの出産や仕事の影響で現在は活動を休止している。

「音楽」で、

世界を平和に。

「音楽」で、世界を平和に。

「音楽」で、世界を平和に。

MAKE IT

A BETTER PLACE

THROUGH MUSIC.

「音楽」で、

世界を平和に。

「音楽」で、世界を平和に。

SUZUMA NOMURA

STORIES

フォルクローレ一色の幼少期

2歳の頃から母と一緒にアルコイリスの練習に参加するようになり、3歳で初ステージ。当時は「Bombo(ボンボ)」というリャマや山羊の毛で作られた太鼓を演奏していた。

4歳の頃から「Charango(チャランゴ)」というアルマジロの甲羅で作られるボリビアの弦楽器を弾き始め、以降同グループの弦楽器担当として活動するようになる。

SISAYとの出会い

5歳の時に南米・エクアドルから来日していたSISAY(シサイ)の演奏を広島のデパートで初めて見て衝撃を受ける。彼らとの出会いをきっかけに、フォルクローレ音楽(主にボリビアやペルー、アルゼンチンで演奏される)の中でもエクアドルのスタイルを好むようになり、彼らの演奏を真似た“SISAYごっこ遊び”で自然とフォルクローレを体得していった。また、当時はエクアドル人男性の伝統的な髪型に憧れ、麦わら帽子に毛糸で作った三つ編みを付けていつも着用していた。

念願のバイオリンを手に

エクアドル音楽ではバイオリンを多用するため、幼い頃からバイオリンに対して強い憧れを持っていた。そんな中、当時通っていた小学校には西日本で唯一の管弦楽団があり、小学校3年生(9歳)の時に入団する。しかし当時、顧問の先生から指名された楽器はトランペットかコントラバスであり、希望するバイオリンではなかった。「マンドリンとバイオリンの運指が一緒であること(当時アルコイリスでマンドリンを弾いていた)」と、「必ず練習して上手くなること」を先生に伝え、なんとかバイオリンデビューを果たした。「オーケストラの花形」と呼ばれるバイオリンは3つのポジションがあり、小学校の合奏団は学年ごとに「ファースト(6年生)」、「セカンド(5年生)」、「サード(4年生)」と分かれていた。そんな中、誰よりもバイオリンに対して熱烈な愛を持っていたSuzumaは楽団内でも特に練習に熱心に取り組み、5年生の時には異例のセカンドを飛び越えてのファースト昇格を果たした。そして6年生の時には1年間、楽団の長であるコンサートマスターを務めた。

CAMPESINOS時代

仕事や出産でアルコイリスとしての演奏が難しくなってきていた2016年頃から、メンバーの一人・Nosaとの師弟デュオ「Campesinos(カンペシーノス/スペイン語で「田舎者」の意)」で活動することが増えた(結成は2014年)。デュエット名は二人が山口県の田舎出身なことに由来する。メンバーが二人だけだったため、足りない楽器はあらかじめレコーディングしておいたカラオケトラック(当時はNosaが打ち込みで作っていたmidi音源)で補った。この「生演奏+同期音源」が後のソロ活動での演奏スタイルになる。多くの南米ミュージシャンが商業施設での無料ライブを行っていたのを参考に、Campesinosも地元・山口や広島でのインストアライブで活動を広げた。当時デュオとしての知名度や演奏経験が浅かったため、ライブの開催を断られることも多かったが、高校生だったSuzumaは各地のショッピングモールに根気強く電話交渉を続けた。

2019年9月からソロ活動開始。翌年から初のソロアルバム「collage」を引っ提げ、地元・山口でツアーを行った。2021年4月にはKRY(山口放送)のラジオ番組「どよーDA!」のテーマ曲「Inspiration」を作曲。

ニューヨークへ

高校2年生の時にある日突然「ニューヨークへ行こう」と思い、渡米を決意。高校卒業後は東京の調律専門学校に進学予定だったが、急遽進路を変えた。当時担任の先生も友人もSuzumaが冗談を言っていると思っていた。これについてSuzumaは後のインタビューで「自分でもなぜニューヨークに行きたいと思ったのか分からない」と語っている。母はフランス留学の経験があり息子の渡米を快く受け入れた。

コロナ禍ではあったが、2021年に予定通り渡米。知り合いが一人もいなかったり英語がほとんど話せなかったこともあって、最初の一ヶ月は孤独と不安で毎日泣いていた。また、帰りの航空チケットを買っていなかったため滞在期間も未定であった。当時語学学校の寮(34ストリートと8アベニューにあるニューヨーカーホテルの1室)に住んでいたが、家賃があまりにも高すぎた(1ヶ月約34万円 ※当時のレートで計算)ため、わずか一ヶ月での引っ越しを余儀なくされる。そんな中、日本人がオーナーのニュージャージーの一軒家へ移動。ちょうど貸していた部屋に空きが出たところだった。

オーナーのアドバイスもあり、渡米後一ヶ月でストリートライブを始める。当時は日本から持って行っていたバイオリンとオーナーから借りた手のひらサイズのブルートゥーススピーカーでパフォーマンスしていた。ブライアントパーク(42ストリート)やリトルアイランド、ニュージャージーのグローブストリートなど各地で演奏を行い、ある月にはチップだけで6,000ドル(当時のレートで約80万円)稼いだ。イベントや結婚式、国連のオンラインイベントでも演奏し、着実にアーティストとして成長していった。

2023年3月に7枚目のアルバムを発売、日本に一時帰国し、日本ツアー「Suzuma Nomura JAPAN TOUR 2023“42nd Street”」を開催した。

2023年6月、イリノイ州シカゴで開かれた「INTI RAYMI CHICAGO 2023」でSISAYのメンバーとしてステージに立った。ゲストミュージシャンとして数曲のみ参加予定であったが、日本から来るメンバーが入国トラブルで出演できなくなり、急遽メインメンバーとして演奏した。彼らに5歳で出会ってから16年、念願のSISAYとの共演を果たした。

7月には憧れのエクアドルへ行き、現地でインティライミに参加した。

現在

2023年10月に帰国、日本を拠点に各地で演奏活動を展開している。

bottom of page